呉服とも云う着物。ルーツは中国?!
着物を売っているお店のことを『呉服屋』というのはご存知の通り。
では呉服とはなんでしょう?着物(和服)の別称でしょうか?服を丁寧にいった言葉『ご(御)服』だと思っている方もいるかもしれませんね。
ただ、『今日の着物はきれいだね』という人はいても、『今日の呉服はきれいだね』と言われると???です。
正確には『魏・呉・蜀』の『呉』。三国志の好きな方にはピンとくる中国の南東部に存在した国。孫権・周瑜の呉です。
それまで、麻などの生地が中心だった私たちのご先祖のもとへ、呉の国からシルクの新しい生地がもたらされたことに由来すると思われます。
所説いろいろありますが、絹の一大産地だった中国東南部(※蘇州あたりかな)から入ってきた『絹の服地が呉の服。つまり呉服』というのが正解のように思います。
なにせ、『呉』が中国に存在したのは3世紀のこと。時代が古すぎてはっきりしません。当然ですが、魏志倭人伝の『魏』が存在したのと同じ時代です。
卑弥呼の時代ですよ。すごいですよね。そのころから中国南東部と直接交易があったのか、百済・新羅から持ち込まれたのか。定かではないですけど。
とはいえ、じゃあ中国の古い服装(漢服など)と日本の着物が同じかというと、やっぱり違う。
その後、日本にも養蚕技術や染色技術が伝わり、千数百年かけて独自の進化をしてきたのが現在の着物なのだと思われます。江戸時代には現在の着物文化の元になるものが確立しています。
『呉服屋』『呉服商』として呉の名前が残ったのは、『呉服』=『外国産高級服』という意味から『高級服地店』を表す言葉に転化していって残ったのではないかと思われます。
となると『呉服屋』という商売が卑弥呼の時代からあった!。。。と。多分、発祥の地は九州ですョ。 但し、今、日本中からなくなりかけてますけどね。。
余談ですが・・、私の住む九州では『カラ』という言葉は大雑把に『外国のこと』を言っているのかなと思わせる節があります。多分、上記よりもさらに古い時代、まだ漢字が日本に入ってきていない時代には、外国のことを表す日本語はこのカラだけだったのではないかと思っています。
なぜなら『漢』『唐』『韓』すべて訓読みでは『カラ』なのです。6~7世紀ごろ朝鮮半島南部にあったといわれている『加羅』は逆に音読みの当て字で『カラ』。これらのカラとの交流窓口になっていたと思われる港町『唐津(カラツ)』(津は港のこと)。
そんな『カラ』の時代に『呉』という特定の産地限定商品がすごく最先端オシャレだし、超高級品だったのでは・・。私が勝手に解釈しているだけですので根拠はありませんけどね。
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